茶々と小太郎と豆柴ひめの日記
茶々も小太郎も虹の橋へ・・・そこに妹ひめが我が家に
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2017-07-11 22:45 |
カテゴリ:今日の茶々
こんにちは
茶々が旅立って今日はもう初七日です
どうやって一週間を過ごしたのか今考えると思い出せない・・・
たくさん泣いて 皆さんからたくさん暖かい言葉を
かけていただいて・・・
皆さん本当にありがとうございます
昨日は
ひだまり の田舎のオードリーさんより
可愛いプリザーブドフラワーが

そして
ただいまお昼ね中です のhototogisu4さん
より素敵なお花をお供えしていただきました

本当にありがとうございます
茶々もきっと喜んでいることと思います
毎日たくさんのお花に囲まれて 茶々は本当に皆さんに
愛されていましたね
茶々の亡くなるまでの1週間ですが
まず
6月29日が最初におチッコで失神のような症状でしたが
毎回でもなく チッコ外派の茶々は自分でチッコって
教えてくれて 外に連れて行っていました
6月30日
夕方バギーで散歩
我が家の坂を上って平らな場所に着いた時
バギーから降りてすぐに うんPでしたが うんPの後すぐに失神
そのまま抱っこして帰ったのですが この時から
ほぼ毎回失神のような状態になりました
7月1日
病院へいきましたが 記事の通り
呼吸器系に炎症があるとの事でした たしかに少し
ゼーゼーって感じはありました
先生はやはり痙攣持ちだった事を気にされていました
熱もあり食欲が落ちていましたが 1日夕 そして2日朝と
お薬と一緒にお肉やチーズ犬缶まで食べてくれました
7月2日夕~4日朝まで
ここからはまったく食べ物を食べなくなってしまい
お薬も飲ませる事は出来ませんでした
お薬を粉にして飲ませようとしましたが 全く受け付けずで
お薬はあきらめ 茶々が飲めるものを飲ませてみました
ポカリやヤクルトなどは喜んで飲んでくれました
ごまとしおと一緒の ごまねぇさんから
たくさんのアドバイスをいただきました
スープの事 ヤクルトや飲むヨーグルト等 飲み物から
体が辛くならないように するためのアドバイス等
ただ ゼーゼーが治らないし 4日先生に相談
翌日の5日もう一度連れて来て下さいとの事でした
おチッコは相変わらず失神でした
チッコの度に茶々自身は外に行きたいけど 体がついていけず
立ち上がり少し歩きその場で・・・なのでシートを敷きシートの上に・・・
でもシートだけではなかなか目が離せず難しいからと
茶々ママはオムツを買いに・・・
お利口さんにオムツを受け入れてくれたので
試しで1袋だったので アマゾンにオムツを追加注文
7月4日夕
午後6時過ぎちょっと思い痙攣をおこしました
でも以前なら痙攣後クルクルの旋回が始まるのですが
足が思うようにならず 回れないためギャンギャン
その後この日私達の夕食に煮魚をしたところ
茶々がクンクンしたのです もう午後9時近くになっていました
もしやと お魚を食べさせたら パクパク食べたのです
ゼーゼー言っていたので このお薬だけはとお魚だけでなく
お肉も食べてくれたので一緒にお薬もあげました
そして5日
この朝も前日のお魚をパクパク・・・食欲が出てきたのだと
喜びお薬と一緒にまたお肉やチーズ 犬缶などをあげました
食べてくれたので病院はパス!!
もともと行きたい場所ではないので ストレスを与えない
ためにも 病院には連れて行きませんでした
ただ夕方からは少し息遣いが荒くなって来たんです
病院へ行くべきが悩みましたが とにかく皆さんも
ご存知の通り大雨で どうにもなりませんでした・・・
もちろんもう何も食べてくれず夕方からは飲み物も
受け付けてくれませんでした
茶々ママの中ではもう難しいのではという思いに変わって
いきました そして小太郎の命日を前にもしや・・・
との思いも・・・
息遣いが荒い茶々は見ていて辛く 苦しそうで・・・
私達は茶々にもう頑張らなくていいよって言ってしまったんです
二人で交代でずっと抱っこしたんです
最期は茶々ママの腕の中の時でした
息遣いの荒さはなくなり とても穏やかに抱っこされていて
頭だけ 何度もずっと居眠りするように コックリ コックリ・・・
そのまま逝ってしまったようで いつが最期なのかが
抱っこしていてもわからないくらい 穏やかに逝ってしまいました
亡くなるこの1週間が茶々ママが少し看病らしき事を
してあげられた時間でした
これまで3ワンちゃんを見送りましたが 茶々ママは
はじめて自分の腕の中で見送る事が出来た事は
本当に幸せでした
茶々の旅立ちではやはり後悔もたくさんあります
亡くされた方皆さん この思いに襲われるそうですが
茶々ママもやはりそのひとりでした
嫌がっていた茶々を 病院に連れて行ったのは
正解だったのか
お薬を飲ませて良かったのか・・・などなど
今何を思っても もうどうにもならないのですが
こうだったら もしかしたらもう少し生きていられたのでは
そんな思いすら・・・
茶々は自分が生きていくことが私達に迷惑になるのでは?とか
私達が事ある度に茶々がいるから 誰か一人は家にいないと
いけないから・・・って言っていたのが
聞こえていて生きていくのが辛くなったのでは?とか
もしかしたら茶々自身のプライドだったのか・・・
今はそんな事ばかり 考えてしまう茶々ママです
長い 長い文になってしまいましたが 茶々の最期の
1週間です そして亡くなって1週間経過
茶々ママの記憶に残すためにも記事にさせていただきました

今はこの祭壇に向かいボーっとしている事も・・・
でも必ず元気になっていきますからね
皆さんからいただいたコメントには昨日お返事を
書かせていただきました
今度は少しづつ皆さんのことろにも訪問させていただこうと
思っています
茶々の旅立ちそして今もたくさんのブロ友の皆さんから
励ましのLINEやメール等で茶々ママに声を掛けていただき
本当にありがとうございます
皆茶々のお陰なんです このご縁はずっとずっと大事に
していきます
それが茶々への供養なのですから・・・


茶々が旅立って今日はもう初七日です
どうやって一週間を過ごしたのか今考えると思い出せない・・・
たくさん泣いて 皆さんからたくさん暖かい言葉を
かけていただいて・・・
皆さん本当にありがとうございます
昨日は
ひだまり の田舎のオードリーさんより
可愛いプリザーブドフラワーが

そして
ただいまお昼ね中です のhototogisu4さん
より素敵なお花をお供えしていただきました

本当にありがとうございます
茶々もきっと喜んでいることと思います
毎日たくさんのお花に囲まれて 茶々は本当に皆さんに
愛されていましたね
茶々の亡くなるまでの1週間ですが
まず
6月29日が最初におチッコで失神のような症状でしたが
毎回でもなく チッコ外派の茶々は自分でチッコって
教えてくれて 外に連れて行っていました
6月30日
夕方バギーで散歩
我が家の坂を上って平らな場所に着いた時
バギーから降りてすぐに うんPでしたが うんPの後すぐに失神
そのまま抱っこして帰ったのですが この時から
ほぼ毎回失神のような状態になりました
7月1日
病院へいきましたが 記事の通り
呼吸器系に炎症があるとの事でした たしかに少し
ゼーゼーって感じはありました
先生はやはり痙攣持ちだった事を気にされていました
熱もあり食欲が落ちていましたが 1日夕 そして2日朝と
お薬と一緒にお肉やチーズ犬缶まで食べてくれました
7月2日夕~4日朝まで
ここからはまったく食べ物を食べなくなってしまい
お薬も飲ませる事は出来ませんでした
お薬を粉にして飲ませようとしましたが 全く受け付けずで
お薬はあきらめ 茶々が飲めるものを飲ませてみました
ポカリやヤクルトなどは喜んで飲んでくれました
ごまとしおと一緒の ごまねぇさんから
たくさんのアドバイスをいただきました
スープの事 ヤクルトや飲むヨーグルト等 飲み物から
体が辛くならないように するためのアドバイス等
ただ ゼーゼーが治らないし 4日先生に相談
翌日の5日もう一度連れて来て下さいとの事でした
おチッコは相変わらず失神でした
チッコの度に茶々自身は外に行きたいけど 体がついていけず
立ち上がり少し歩きその場で・・・なのでシートを敷きシートの上に・・・
でもシートだけではなかなか目が離せず難しいからと
茶々ママはオムツを買いに・・・
お利口さんにオムツを受け入れてくれたので
試しで1袋だったので アマゾンにオムツを追加注文
7月4日夕
午後6時過ぎちょっと思い痙攣をおこしました
でも以前なら痙攣後クルクルの旋回が始まるのですが
足が思うようにならず 回れないためギャンギャン
その後この日私達の夕食に煮魚をしたところ
茶々がクンクンしたのです もう午後9時近くになっていました
もしやと お魚を食べさせたら パクパク食べたのです
ゼーゼー言っていたので このお薬だけはとお魚だけでなく
お肉も食べてくれたので一緒にお薬もあげました
そして5日
この朝も前日のお魚をパクパク・・・食欲が出てきたのだと
喜びお薬と一緒にまたお肉やチーズ 犬缶などをあげました
食べてくれたので病院はパス!!
もともと行きたい場所ではないので ストレスを与えない
ためにも 病院には連れて行きませんでした
ただ夕方からは少し息遣いが荒くなって来たんです
病院へ行くべきが悩みましたが とにかく皆さんも
ご存知の通り大雨で どうにもなりませんでした・・・
もちろんもう何も食べてくれず夕方からは飲み物も
受け付けてくれませんでした
茶々ママの中ではもう難しいのではという思いに変わって
いきました そして小太郎の命日を前にもしや・・・
との思いも・・・
息遣いが荒い茶々は見ていて辛く 苦しそうで・・・
私達は茶々にもう頑張らなくていいよって言ってしまったんです
二人で交代でずっと抱っこしたんです
最期は茶々ママの腕の中の時でした
息遣いの荒さはなくなり とても穏やかに抱っこされていて
頭だけ 何度もずっと居眠りするように コックリ コックリ・・・
そのまま逝ってしまったようで いつが最期なのかが
抱っこしていてもわからないくらい 穏やかに逝ってしまいました
亡くなるこの1週間が茶々ママが少し看病らしき事を
してあげられた時間でした
これまで3ワンちゃんを見送りましたが 茶々ママは
はじめて自分の腕の中で見送る事が出来た事は
本当に幸せでした
茶々の旅立ちではやはり後悔もたくさんあります
亡くされた方皆さん この思いに襲われるそうですが
茶々ママもやはりそのひとりでした
嫌がっていた茶々を 病院に連れて行ったのは
正解だったのか
お薬を飲ませて良かったのか・・・などなど
今何を思っても もうどうにもならないのですが
こうだったら もしかしたらもう少し生きていられたのでは
そんな思いすら・・・
茶々は自分が生きていくことが私達に迷惑になるのでは?とか
私達が事ある度に茶々がいるから 誰か一人は家にいないと
いけないから・・・って言っていたのが
聞こえていて生きていくのが辛くなったのでは?とか
もしかしたら茶々自身のプライドだったのか・・・
今はそんな事ばかり 考えてしまう茶々ママです
長い 長い文になってしまいましたが 茶々の最期の
1週間です そして亡くなって1週間経過
茶々ママの記憶に残すためにも記事にさせていただきました

今はこの祭壇に向かいボーっとしている事も・・・
でも必ず元気になっていきますからね
皆さんからいただいたコメントには昨日お返事を
書かせていただきました
今度は少しづつ皆さんのことろにも訪問させていただこうと
思っています
茶々の旅立ちそして今もたくさんのブロ友の皆さんから
励ましのLINEやメール等で茶々ママに声を掛けていただき
本当にありがとうございます
皆茶々のお陰なんです このご縁はずっとずっと大事に
していきます
それが茶々への供養なのですから・・・

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